それをジャーニーと言うのなら(トリプルネガティブ乳がん経過観察中)

2021年8月に乳がんの告知を受けました。サブタイプはトリプルネガティブ。突然キャンサージャーニーcancer journey が始まってしまいました。

 その日の夜から
告知を受けたその時から
見える景色が変わってしまいました。

知る前と知った後
では、あまりにも違いました。

結果待ちの組織検査の他にも、必要な検査が幾つかあり、オーダーが入れられました。

次の診察予約は8月13日でした。

サブタイプと治療方針については、そのときに話すとのこと。

それまでが長く辛く、同病の皆さんのブログを拝見しても、この期間が一番辛い、地獄のような日々だったと書かれていることが多いです。

やはりわたしも、夫も、この期間が辛かったです。

そんな、蛇の生殺し?のような日々の始まりでした。

そして、乳がんの疑いを持ってから、病院でも泣かなかったわたしが初めて泣いたのは、
告知を受けたその夜、スポーツジムに退会手続きの為に向かった時でした。

運動不足解消の為にと、夫と二人揃って入会したシニア層中心のスポーツジムでしたが、プールもスタジオプログラムも充実していました。

感染症対策に努めながらの営業をしてくれていました。

ジム友達も出来て、プールにダンスに筋トレ、フィットネスと、本当に生き甲斐を見つけたみたいに楽しく通っていたのです。

こんな形で退会しないといけないなんて不本意過ぎる。

でも、わたしは、このあと、治療に専念することになる。

いまは、辞めるしかない。

ジムの有料ロッカーには、ダンス用のシューズと、シャワーセットと、ヨガタオルを入れていました。

つい二日前の月曜日には、そのシューズを履いてダンスプログラムに参加したばかりだったのに。

また木曜日には、同じプログラムに出るはずだったのに。

ロッカーを空にして、アルコールで拭き掃除をしてあけ渡しました。

無念過ぎて、帰りの車中では泣きました。

でも、この悲しみだけに執着してもいられません。

だってわたしは、今日から『がん患者』なのだから。

昨日までと外見は何一つ変わっていないのに、がん患者になった。

やっぱりわたしの世界が変わった夜でした。

夫にとっては、乳がんの妻を持った日でした。


この時は、本当に夫婦二人で深刻になってしまっていたのですが、がんの話ばかりしていたわけではありません。

それに今現在は、以前と変わらず、明るく楽しく毎日をすごしています。













 2021年8月5日 木曜日

メディカルセンターで紹介状を受け取った翌日です。

これも、今になって思うと幸運だったと言えるのですが
そもそも、その総合病院の乳腺外科は、初診受付は毎週火曜日と木曜日の午後のみ。

メディカルセンターから連絡があったのが水曜日だったので、本当に最短で受診出来たことになります。

ただし、その乳腺外科は待ち時間が長いことで有名でした。

わたしも、例にもれず名前を呼ばれるまで1時間ほど待ち、改めてエコー、マンモグラフィを受けて、また、しばらく待ちました。

待合室にいる大勢の患者さんの中には、明らかに脱毛されていて、ケア帽子を着用している方もちらほら見られました。

がん治療中の方なんだろうな…と
ぼんやり思いながら、あまりジロジロ見るのも失礼だし、気を紛らす為に、スマホでアパレルの通販サイトを見ていました。

夏のセールです。

『このカットソーどうかな…』と思ったとき、名前が呼ばれました。


ちなみに、この病院では相変わらず、診察室の中から医師がマイクで、患者の個人名をフルネームで呼びます。

個人情報保護なんて一切ないので、ちょっと辟易してしまいます。


中に入って挨拶をしました。

医師は、病院長であり、乳腺外科部長でもある、白髪の穏やかそうな人でした。

そして、先ずは紹介状とともに提出したメディカルセンターのデータがアップロードされました。

もう間髪を入れずに
医師はわたしに告げました。

『あのね、乳がんです。』

『本当に?ですか?』



『そうですね。間違いない。

これ見てください。こんなふうにギザギザがあるでしょう?

良かったですね、検診をきちんと受けていてね。

大丈夫。大丈夫ですよ。

今はね、いいお薬がありますからね。』

『はぁ…そう、なん、ですか。』

この後、エコー下での生検をするのでと言われ、また待合室に戻りました。

感じていたのは、ショックよりも、ヤラカシタ感とでも言うのか、あ~あ…やっぱりか、という思いでした。

ある程度、予想はしていたからなのか、この時はまだ、涙は出ませんでした。

夫が迎えに来てくれることになっていたので、ラインを送ろうとしたとき、連絡が遅いことを心配した夫が、目の前に立っていました。

以心伝心なのか、とても嬉しく、心強く思いましたが、同時に、ああ、夫に申し訳ない!と思いました。 

周りの人に聞かれたくなかったので、ラインの画面を使って筆談です。

『手術だって。』

『がんだって。』

夫は、愕然としていました。

やはり、悪い予感はあったものの、つきつけられた現実に、とっさに言葉が出てこないようでした。

後日、夫は
『これ現実なの?今でもよく分からない。
頭が真っ白になった。』
と言っていました。

そうですよね。

家族は、戸惑いますよね。

もしかしたら、本人より辛いかも知れません。


針生検は、麻酔が効いているとは言え、大きな音が響いて衝撃でした。

でも、がんを告知された衝撃に比べたら大したことなかったです。

3回ほど針を刺したと思いますが
針を刺したときよりも、バンデージをぐるぐる巻きに貼って、バン!と圧迫された時のほうがずっと痛かったです。

エコー室から出ると、夫が廊下で待っていてくれました。

ほっとして、
『お待たせ~』と笑いました。

わたしが着衣を整えている間、夫は、
『先生、命に別状はないのでしょうか?』
と、ドラマみたいなことを尋ねていました。

医師は
『お仕事などで忙しいからと、治療を止めずに、真面目にきちんと治療することが大事なのですよ。』

と答えたそうです。

その日、会計を済ませたのは17時頃でした。

病院に5時間いました。

長い長い告知の1日でした。





 2021年8月4日 水曜日 

健康診断から5日後の午前中に、メディカルセンターから電話がありました。

そうですね。

もう悪い予感しかしません。

乳がん検診の結果が良くない為、すぐに紹介状を書くので取りに来て欲しいと言われました。

その日は、パートのシフトに入っていたのですが、さすがにこれはと、欠勤の連絡をし、メディカルセンターへ向かいました。

メディカルセンターでは、急遽乳腺エコーを受けることになりました。
(わたしはマンモグラフィだけを受けていました。)


その画像を見てセンター長の医師は、『やっぱり。』
と、確信したように言い、興奮した面持ちでまくしたてました。

『あなたね、すぐに乳腺外科に行きなさいよ。

これ、ここわかる?映ってるでしょう?3センチぐらいあるでしょう?これはきっと、手術しないといけないやつです。

わざわざ連絡して来てもらったのはね、忙しいって言って、放置しないで欲しかったからです。

例えばここに、《要精密検査》って赤文字で書いて結果を送ったところで、後回しにしてしまう人もいるからね。

きちんと行ってくださいよ。

芸能人で、亡くなった人がいるでしょう?

知っているでしょう?

あの方も、忙しいということを理由に、治療が遅れて残念なことになったでしょう?』

え?
はぁ?

乳がんで亡くなられた人って。

わたしが同じだと?

いま、わたし、告知されたのか?

と、口には出せず、呆然としたまま、ショックではあったものの、まだまだどこか他人事のようで、自分の話なのに、妙に客観的な自分がいました。

とにかく専門医のいる乳腺外科に行かなければならない。

隣の市にある大学病院が頭に浮かびましたが、最短で受診できることを優先して、市内の総合病院あてに紹介状を書いてもらいました。

そして夫に内容を報告しました。

でも夫も、そこまで言われても、まだまだ、がんは、自分たちとは縁のないものだと感じていたようです。

わたしも、
『心配しないで。
きっと、良性の腫瘍だよ。先生は大袈裟だよね。』

と言いました。

この時は、もう良性の可能性は限りなく低いと感じてはいましたが、あまり夫を心配させたくなかったのです。


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